「よくがんばりました」<9>

診察室を出ると、17時半を過ぎていました。
ちょうど、享ちゃんが保育園に着いた頃だと思いました。
診察時間は30分以上前に終わっており、
病院の主な電気は消えてました。
外もすっかり暗く、2時間半にここに来た時に
明るい日差しが入っていた受付は、薄暗くなっていました。
ひんやりとした空気から、外は冷たい風が吹いていることが
想像できました。

受付のロビーに座ろうとしたところで、会計が終わったという
ランプに私の番号が表示され、待つこともなく支払いが終わりました。

病院から駅までの道のりには、学生さんたちが通る
学生街のようで、かわいいお店がたくさんありました。

朱茜は宮川さんが抱いてくれました。
私は朱茜に
「あんたは幸せやでー。4ヶ月にもなって宮川さんにこんなに
抱っこしてもらって。お姉ちゃんは2ヶ月になってからは
宮川さんには数えるくらいしか会ってへんで」と言いました。
明るく言いましたが、声に力は入りませんでした。
朱茜は宮川さんに抱かれて、いつもの満面の笑みでした。
こんなに笑っている朱茜。「脳に障害が」と言われても、
やはりうまく理解できませんでした。

駅の切符売り場の横には、ミスタードーナツの店舗がありました。
普段、そういうお店はほとんど目に入りませんが、
その日は無性に欲しくなりました。緊張のあまり、体が
甘いものを欲していたのかもしれません。
でも行列ができていたので、すぐに電車に乗ることにしました。

時間を見ると18時半。助産院には19時半、
我が家には20時に帰れるかなと思いました。

帰りの電車は通勤時間と重なり、混雑していました。
宮川さんと、「今できることをしようと思う」話しながら、
朱茜を抱いて電車に揺られていました。

ふと、座席に座っている女性と目が合い、
席を譲ろうとしてくださったのがわかりました。
仕事帰り、お疲れのところ、申し訳ないなと思い
どうぞ座っていてください、という思いを込めて会釈しました。
するとその女性はすっと立ち上がり、
「気がつくのが遅くなってすみません」と席を譲ってくださいました。
みんな優しいなと感動するともに、さすがに疲れていたので、
恐縮しましたが、ありがたく座らせていただくことにしました。

電車に乗っても泣くこともなく、目が合う人に笑いかける朱茜。
こんなに健康そうなのに、来月には手術。
朱茜と私に、のんびり考える時間は
ありませんでした。
歯科医師の丸茂先生の
「赤ちゃんの場合、『様子をみる』はない」
という言葉が思い出されました。

できることをできるだけ早くやっていこうと思いました。
できることといえば、さまざまな医療の分野の
セカンドオピニオンを集めることでした。
数名の先生の名前が思い浮かんだので、連絡を取ろうと思いました。
でも私が信頼している先生のほとんどは
すでにもう尋ね終わっていました。
そして「症例がない」「わからない」と言われていました。

宮川さんも一緒に考えてくださいました。

わたしの車は助産院の前に置かせてもらっていました。
宮川さんの「気をつけて帰ってね」がとても重く感じました。
ぼんやり運転をしていたら、本当に事故をしてしまうな、
と思いました。
気をつけて帰ろうと思いました。

享ちゃんに「帰るよ」と連絡したら、
今、「うどんを食べに来たところ。ご飯炊いてあるよ。豚汁作ったよ」を
返事がありました。
家にいないんだったらゆっくり帰ればいいや、と遠回りをしました。
昼寝を少ししかしていない朱茜は、いつの間にかぐっすり眠っていました。

家に帰る前に、何か食べたくなり、
いつも行くスーパーに寄りました。
半額になった巻き寿司を買って
駐車場で食べながら、
気にかけてくださっているであろう
東京の星野先生にメッセージをしました。

診断名を伝えると
すぐに返事がありました。
とても優しい文面で
「よくがんばりました」
とありました。
うっすら涙がでました。
でもこの時の私は、景色が滲むくらいで、
泣くこともできませんでした。

帰って、夫には伝えました。
「手術かー」
と享ちゃんの反応は淡々としたものでした。
享ちゃんは朱茜をひとしきり抱っこしたりして遊び、
「朱茜、『うち、手術がんばれるよ』と言ってる」と言いました。

あたまではわかっているけれど、
口から出る言葉がそこに追いつかない。
ともかく疲れていた私は、すぐに早く休むことにし、
子供たちと21時には眠っていました。

・・・・
朱茜の頭蓋骨縫合早期癒合症の治療記録は、
母であり治療家としての、成長と学び、
同じ悩みを持つお母さまの参考、そして希望につながればと思い、
残しています。
読んでくださり、ありがとうございます。