11月27日、朝8時半にわたしは、宮川さんと病院の受付で待ち合わせをしました。
京都の東山の斜面にある病院は、美しい紅葉に包まれて
非常に美しいものでした
初めて行く病院でしたが、
穏やかな雰囲気で、居心地の良さを感じました。
受付で初診の手続きをして、9時すぎには診察室に呼ばれました。
受付で宮川さんが
「部長先生だったらいいな」
「やさしいベテランの先生」
とおっしゃっていました。
部長先生と宮川さんはお付き合いが長いらしく、
診察室のネームプレートを見ると部長先生のお名前だったので、
小さな幸運さを感じました。
いよいよ診察室に呼ばれ、宮川さんも一緒に入ってくださいました。
部長先生は60歳くらいの先生でした。
丁寧に朱茜を見てくださり、宮川さんの話を聞いてくださいました。
ネームプレートを見ると、NICUと書いてあり、
様々な症例を知り、たくさんの赤ちゃんを助けていらっしゃることが
想像できました。
でも先生からは
「いままでたくさんの赤ちゃんを見てきたが、
この……状態は………記憶にない」
と、言葉をものすごくものすごく選んで
おっしゃってくださいました。
私は、朱茜はよほど珍しいケースなんだと改めて思いました。
部長先生は続いて、
「小児の脳神経科がある総合病院に紹介状を書く」
と、おっしゃってくださいました。
この病院で検査をしてから紹介状を、という方法もあるけれど、
検査の段階で専門の病院に行った方がいいというご意見でした。
わたしは、なるほどと思いました。
そして2つの総合病院を提案してくださいました。
1つは比較的近距離で私も通ったことがある病院でした。
1つは電車を乗り継いでいく、少し遠い大阪の病院でした。
私はすぐに選べなかったので、
「夫に相談してから決めます」と言ったら、
部長先生はまた控えめに意見を言ってくださり、
大阪の病院をご提案くださいました。
正直、宮川さんが信頼する、
このベテランの大きな総合病院の先生ですら、
「このケースは見たことがない」とおっしゃったこと、
別の専門病院に紹介状を書かれること、
その一瞬の出来事に、頭がぼーっとし、
判断を求められていることに、少しうろたえましたが、
宮川さんがいたので、私は安心でした。
宮川さんも、「大阪の病院がいいと思う」と言ってくださり、
そこの病院に行くことが決まりました。
部長先生の優しい話口調、丁寧さに、
わたしは妙に安心していました。
そこで朱茜がぐずり出したので、
「授乳をしたい」というと、使っていない診察室を
授乳室をして開けてくださいました。宮川さんと
「いい先生ですね~」「なんでも診れる田舎の先生みたい」
などと、ゆっくりお話をしながら、授乳をしながら
最後の診察に呼ばれるのを待ちました。
宮川さんは10時には病院を出なければ行かなかったので、
少しそわそわしながら待っていたら、
10時直前に名前を呼んでいただけました。
安堵して、診察室に入ると、
部長先生は
「今の時間に紹介状先の病院に電話をして、
予約を取りました。今週30日木曜日15時、他の用事があっても
この予約を優先してください」
と言われました。
予約までしてくださるとは思ってなかったので、
展開の速さに驚きました。
私のスケジュール帳はふだん隙間なく埋まっているのですが、
木曜日午後は、ぽっかりと空いていました。
なんだか準備されていたようで、不思議な気持ちになりました。
夫は仕事だから無理だなと思いました。
宮川さんは忙しいから一人で行くことになるだろうなと思ったら、
14時からなら開けられるとのことでした。
私はまた宮川さんに甘えることにしました。
本当に本当に予定がうまく入っていくから、
一層不思議な気持ちになりました。
「紹介状にはどのように書かれたのかな?」と思っていたら、
部長先生は、紹介状に書かれた文言を、
丁寧に言葉を選びながら、説明してくださいました。
あれだけどうしていいかわからなかった朱茜の病院受診。
4ヶ月児の赤ちゃんを連れて病院に行くことには
大きな不安もありましたが、
日程や行く場所がとんとん拍子に進むこと、
お忙しい宮川さんの予定がすべて合うことに、
何か導かれているような気持ちになりました。

その日の夜、足が妙に冷えたり、動悸などがあり、
私はすごく疲弊していることを感じました。
早く眠ることにして、一日を終えました。
朱茜は数時間毎に起きますが、添い乳でよく寝てくれて、
私もその夜はよく眠れました。朝目が覚めると、
10時間くらい布団の中にいて、自分自身、体力と気力の回復を感じました。
・・・・
朱茜の頭蓋骨縫合早期癒合症の治療記録は、
母であり治療家としての、成長と学び、
同じ悩みを持つお母さまの参考、そして希望につながればと思い、
残しています。
読んでくださり、ありがとうございます。





