牧野富太郎という人物のことはよく知らなかった。
本屋さんで牧野についての小さな棚があり、それがとても
可愛いらしく、知っておかねばならない人物のように感じた。
実際読んでみるとなかなか面白い。
読み進めることにした。
「私は草木に愛を持つことによって人間愛を養うことができる、と確信して疑わぬのである。もしも私が日蓮ほどの偉物であったなら、きっと私は、草木を本尊とする宗教を樹立してみせることができると思っている。私は今草木を無駄に枯らすことをようしなくなった。…この慈悲的の心、すなわちその思いやりの心を私はなんで養い得たか、私は我が愛する草木でこれを培うた。(102頁)」
牧野は、植物を愛でること、育てることは、単なる趣味ではない。人生そのものなのだ、という。
今、私は畑をしているわけだが、
「土いじりよりも本を一冊でも読むほうが良いのではないか」
と、畑から戻った時、土いじりの時間を後悔することもある。
けれども、私はその時間を欲している。
諦めて、牧野氏がいう宗教の時間に、身を置いてみよう。
「このような学問上の業績のほかに、先生にはもう一つの面があった。それは植物についての知識を教えることであった。そのために先に述べた植物と親しくすることがどんなに楽しいかということを、人々に教えることであった。そのために先に述べた植物研究雑誌には、論文以外に啓蒙的な記事をたくさん載せ、園芸関係の雑誌に連載したり、また初心者や中級向けの図鑑を作ったり随筆集を出したりなど、文章による活動を飽くことなく繰り返した。その上各地で採集会を指導し、講演会に出るというように、民衆との接触もたびたびであり、直接また郵送などによる植物の鑑定も心よく引き受けられた。こうして先生の言われる植物教が世間に広まり、先生の学問上の業績のとは別に、この方面で先生の人気が高まっていったのである。(伊藤洋「牧野富太郎博士のことなど」117頁)」
学者は研究室にいるだけではいけないということか。
色々な人と会ったり、講演会に出かけたり。
自分の研究を大学外の人に伝えるのは、私の大好きな仕事。
自信を持って、進めてみよう。
2017.10.21
牧野富太郎『植物知識』(講談社学術文庫、1981)
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