デンマークの社会『幸せってなんだっけ? 』

ヘレン・ラッセル (著),‎ 鳴海深雪 (翻訳)『幸せってなんだっけ? 世界一幸福な国での「ヒュッゲ」な1年』(CCCメディアハウス、2017.3)

この夏、海外旅行に行って感じたこと。

プラハの観光地、繁華街、飲食店以外のほとんどのお店が20時で閉まること、
ヘルシンキの洋服屋は12時から18時までしか開いていないこと。
一緒にいた日本人は「ほんとうに働かない…」って言っていたけれど。
わたしは6時間だけ仕事して生活がキープされていることに興味を持ちました。
ゆっくり働けて幸せだなぁと。

けれども日本に帰ると「仕事ができているかどうか」が、
自分を自分で評価する基準になっている。
どうやらおなじようにイギリスの生活に疲れていた女性、ヘレンラッセル。
旦那さんの転職でデンマークに移住し、デンマークの暮らし方を綴った一冊。

書籍、ヘレンラッセルと対話するように、読んでみたいと思います。

「私は疲れ切って倒れるまで土地を耕す中世の奴隷ではない。」
博論を書いていたときは、いつも疲れていた。
眉間にしわが寄っていなければ真剣ではない、
疲れていなければ一生懸命ではない、という具合に
(修士論文執筆の頃は、もっと遊びを多くしてやっていた)
けれどもそんなカリカリした生活は続かない。
イギリス人も同じように考えているのか。
私もこのイギリス人のように、楽な生き方を見つける方法ができるのではないか。

「もし幸せはプロセスにあって、自分で「する」ことの中にあったとすれば?考え方や身体を
訓練することで掴めるものであったとすれば?そしてデンマーク人が実践していることだったとすれば?」
そうなんです。
私はさいきん、クッションを作ったり服を作ったりしているのだけど、
そのプロセスはとても楽しいし、出来上がったものは愛着がわく。
一生涯の宝物というわけではないが、自信をもって使える。
最近作った帽子も、イヤリングも。
あと一歩でできるクッションも。
一緒にいるだけで自分を強めてくれる。

1月、デンマークに引越ししたヘレンラッセルは
「ヒュッテ」という生き方を知った。
1年間、ヘレンの「本当の豊かさを知る生活」が始まる。

「いわゆる「高学歴の移民」が高い税金を払い、働き手として一番活動している。…
この傾向がデンマーク生まれのデンマーク人たちの職場での競争感情を高めている。
それがストレスの度合いをぐんと高めている」
一生懸命がいいことだと思っていた。けれどもそれが周囲の不調和を生んでいる。
なんてかわいそうなことなんだろう。
けれども私もそういう不調和要員の一人だったんだろうなぁ。
お恥ずかしや。

昨日か一昨日、相方にふと打ち明けたメールBOXの怖さ。
いつからだろう、もう8年くらい経つだろう。
大学の先生から来るメールが怖くて、メールBOXを開けるのに、勇気がいる。
メールBOXを開けて、メールがないとホッとする。
やさしい人からのメールだとホッとする。
先生からのメールだとどきっとするけれど、お叱りのメールではないとホッとする。
毎回こんなことで消耗するのがしんどかった。

ヘレンラッセルも同じような経験をしていた。
「「シャットダウン」の文字の上にカーソルをさまよわさせて、それから意を決してクリックした。」
「思っていたより自分が必要とされていないことを実感した。キャリアはぼろぼろになって
もう働けないかもしれないとパニックになったけれども、深呼吸してみて落ち着いた。」
「夫と話をした。人生は前進していた。そして朝になった―メールの受信箱は空だった。」
メールの受信を怖がるのは終わりにしたい。
メールBOXを開ける瞬間が、
不幸の手紙を開けるときのように息を止めてあけるのではなく、
ラブレターのようにわくわくしてあけることができたのなら、
どんなに幸せだろうか。
そして
「外国語を勉強する、根強い伝統があるからよ」
島国のデンマークだからこそそういう考え方になる。

だったら日本人だって同じだろうと。

またデンマーク人は肉食についても書いてある。
「動物に対して感傷的にはならない」という。
日本人はどうだろう。
植物や魚には感傷的にはならないけれど、
動物には感傷的にはなってしまう。

けれどもかわいそうな殺し方はしない。
気絶をさせてから殺すという。
これってホルモン的にも理にかなっているのではないかな。